正教定理神学 

 正教定理神学 (著 マカリイ1世 訳 上田将。明治22年版)による。

 原文との相違
 1 漢字カタカナ表記を漢字ひらがな表記に改めた。
 2 旧漢字は新漢字に改めた。
 3 適宜段落を入れた。
 4 適宜句読点を挿入した。
 5引用句は『』で括った。
 6 引用書名は現在のものに代えた。


目次
後部 神の造物主及照管者たる事
31 此定理に関する教会の教及び本部の構成
32 創造の解。神は世界を創造せり、世界は永遠より存在するに非ず
33 至聖三者の諸位、創造に与かりたること
34 神が世界を創造したるの状
35 神が受造物の重なる種類を創造したるの順序
36 神の世界を創造せし所以、及び其目的
37 神の造物の善美なること
38 神の照管の解、其作用及種類
39 神の照管の実在
40 神の照管の各作用幷其二大種類の実在
41 至聖三者の諸位照管に与かること
42 神霊界の善霊及悪霊に区別せらるること幷神が造物主及照管者として彼らに対するの関係
43 神使の解、其存在の確実なること及彼等の神に造られたること
44 神使の性質
45 神使の数及其階級即ち天の神品職
46 神は善神使を幇助す
47 神は善神使を治理す(甲)
48 (乙)神使の人々に対する務、守護神使のこと
49 悪霊の種々の名称及其存在の確実なること
50 悪霊は初め善霊に造られたれども自ら悪霊となれり
51 
52 神は只悪霊の動作を放任するのみ
53 神は悪霊の動作を制限し之をして善良の結果に向はしめんとす
54 此定理に関する教会の教及び此教の区分
55 初人アダム、エワが神に造られたりと為すモイセイの説の本義及其趣意
56 アダム及エワより全人類の出たること
57 人間の組織
58 人の霊魂の性質、人に在る神の像及肖
59 人間の目的
61 此定理に関する教会の教及此教の区分
62 初造の人に対する神の照管及之に予へられたるの誡
63 人自ら縦まにして罪に陥りたること、其の罪に陥るの状及其原因
64 元祖の犯罪の結果
65 元祖の罪の全人類に伝はること、原罪及其結果の解
66 原罪の実在及普及の理幷に之が遺伝の方法
67 原罪が吾人に生ずるの結果
68 神は人の罪に陥りたる後も息まずして之を照管す(甲)神は国家及人民を照管す
69 (乙)神は個々の人々を照管し、就中義人を照管す
70 人に対するの神の照管の方法及次編に移るの意


三十一、此定理に関する教会の教及び本部の構成
第一、神の造物主及び照管者たることに関する正教の教は、ニケヤ及びコンスタンティノポリの信経に略述せられたり。曰く『我信ず、惟一の神......全能者、天と地、見ゆると見えざる万物を造りし主を』と。而して更に詳に神の造物主たる事は正教会之を吾人に教ふること左の如し『無論神は見ゆると見えざる万物を造りし主なり。初め神は其意を以て無より凡ての天軍を造りて、善く己の栄を讃する者と為し、而して其知世界を造れり。此世界は其受くる所の恩に由りて神を知り、恒に全く其旨に服従す。次に神は無よりしてこの見ゆる物質の世界を造り、終に非物質にして且智識あるの霊魂と物質的の肉身より成るの人を造れり。この斯くして成せる一(ひとり)の人よりして神が非物質と物質的の二世界を造りし者たるを示さんが為なり。此故によりて人を小世界と称す。是れ人は凡て大世界の形状を具ふるが故なり』(正教宗門上篇十八問の答)又神の照管者たる事の教は正教会更に詳に之を東教会総主教の正教書に於て明示す。曰く『我等凡そ見ゆると見えざるの有らゆる万物は皆神の照管を以て造らるるを信ず。然れども悪は悪として神の只之を洞見して許すのみにして自から之を造らざるにより固より之を照管せず。而して既に出たるの悪は其の高尚なるの仁慈を以て之を導いて人の神益と為す。但彼の仁慈は自から悪を造らず、唯之を可能丈け善事に傾くるなり』(第五節)
第二、我輩は明晰にこの教会の教を説述せんが為
[一]初め神が造物主及照管者として神霊界と物質界及小世界たるの人間に対する総体の関係を述べ、
[二]次に神が造物主及び照管者として神霊界に対するの関係と
[三]其の人間に対するの関係を細述せんとす。
何となれば神が神霊界を含有するが故なり。而して神が造物主及び照管者として物質界に対するの関係は教会の教理上特別緊要の点なく、其世界に対する総体の関係を述ぶる時言ふ所を以て已に足れりと為すに由り、更に此関係を細述するの要なきなり。

第一章 神が造物主及び照管者として世界に対する総体の関係の事
 第一 神が世界の造物主たる事
三十二、創造の解。神は世界を創造せり、世界は永遠より存在するに非ず
一、創造とは之を直解すれば無より物を造り出すの謂なり。故に吾人は神が世界を創造せりと云へば即ち神が
 (甲)啻に己の外に在る所の万物を造りたるのみならず
 (乙)乃ち万物を無より造り
 (丙)随て世界は永遠より存在するに非ず、乃ち時に於て、若しくは時と共に造られたりとの意を顕すなり。
二、神は凡そ己の外に在る所の万物を造りて世界の原因者なり。此証左の如し
 (甲)預言者ダワィド曰く『イヤコフの神に助けられ、己の主神を恃む者は福なり。即ち天地海及び凡そ其中に在る者を造りし神なり』(聖詠145:5,6)
 (乙)エズドラ曰く『神よ、爾は独り主なり。爾は天及び諸天の天と天の衆軍とを造り、又地及び其中の万物と諸海及び其中の万物を造れり。且爾悉く之を生存し、天の衆軍爾を崇拝す』(ネヘミヤ9:6)
 (丙)使徒パウェルは雅典の「アレオパグ」に於て公言して曰く『夫れ宇宙及び中の万物を造れる神は乃ち天地の主にして、手造の殿に居らず』(行伝17:24)又エウレイ人に与ふるの書に謂て曰く『凡そ家は必ず之を建る者あり。惟万有を建る者は乃ち神なり』(エウレイ3:4)
三、神は万物を無より造れり。此真理は
 (甲)聖創世記記者の言に由て見ゆ。曰く『元始に神天地を創造せり』と。(創世記1:1)即ち未だ一物も有らせざるときに創造してなり。
 (乙)旧約教会の信ずる所に由て見ゆ。アンティオフの窘逐の時、イウデヤに一の敬虔の婦あり。其子に祖先の宗教を守りて死を甘受すべきことを勧めて曰く『我が子や、爾は天地及び其中に在る所の万物を見て、神が無より此万物を創造し、且人類も亦此の如くにして、即ち無より造られたるを知れ』と(マッカウェイ二7:28)
 (丙)新約に主は万物を創造せりと云ひ(コロサイ1:16 エフェス3:9)、又万物彼に本づき彼に由り彼に終る(ロマ11:36)と云ひ、又万物彼に由て作らる凡そある所の者は彼に由て造られざるなし(イオアン1:3)と云ふの言に由て見ゆ。即ち物質其者も自ら生ずること能はざりしなり。
 (丁)又聖使徒パワェルが我等信に由て世は神の言に由て造られ、見るべき者は見るべからざる者より造られたるを知る(エウレイ11:3)との言及び神は無を称して有と為す(ロマ4:17)と云ふは之が明証なり。
四、世界は永遠より存在せしに非ずして時に於いて若しくは尚詳に之を云へば時と共に造られたりと為すの意は明に
 (甲)聖詠者の言に見ゆ。曰く『山未だ生ぜず、爾未だ地と全世界を造らざるの先き、且世より世までも爾は神なり』(聖詠89:3)
 (乙)神の子の言に見ゆ。曰く『父、ああ爾今我をして爾と偕に世の未だ有らざる先、我が爾と偕に有せし所の栄を獲せしめよ』(イオアン17:5)
 (丙)同く神の子即ち三位の一たる神の睿智が旧約に於て述べたるの言に於て見ゆ。曰く『永遠より始初より未だ地有らざる先き我膏せられたり。未だ深淵有らず多水の泉源有らざるとき、我已に生まれたり。山尚未だ実らず、陵未だ有らざるの先き、我已に生まれたり』(箴言8:23-25)

三十三、至聖三者の諸位、創造に与かりたること
聖書は概して神が世界を創造せりと為すの(創1:1 イサイヤ45:7 イェレミヤ10:12 聖詠113:23 同133:3 行伝14:15 同17:24 コリンフ前11:12 エウレイ3:4)の外世界の創造を以て之を
一、神父に帰す。例へば曰く『我等には一の神父あり。万物之よりす』(コリンフ前8:6 エウレイ2:10)使徒の祈祷の言に曰く『主や、爾は乃ち天地海及び其中の万物を造れる神なり』と。此語は至聖三者の第一位たる神父を指すこと疑なし。何となれば下文に曰く『爾は爾の僕、我が祖ダワィドの口を以て聖神に言て曰く、諸属何為ぞ騒ぎ、諸民何為ぞ徒に謀るや。地の諸王興り諸候相集て主と其の基督を攻むと。彼等果たして此城に集りて爾の膏せし所の聖子耶蘇を攻めたり』(行伝4:24-28)
二、神子に帰す。例へば曰く『万物彼に由て造らる、凡そ有る所の者彼に由て造られざるなし』(イオアン1:3)又曰く『天に在り地に在る者を論ずるなく万物彼に由て造られ......万物彼に由り且彼が為にして造を受く』(コロサイ1:16亦エウレイ1:3参看)
三、神・聖神に帰す。義人イヲフ此事を謂て神の神(しん)我を造れりと云ひ(イオフ33:4)聖詠者は天は主の言にて造られ、天の全軍は其口の気(神)にて造られたりと云ひ(聖詠32:6又同上103:30参看)又聖創世記記者は神の神(しん)は世界創造の時水面を覆育して、恰も新造の物質に生命を賦するが如き者と為せり。(創成1:2)
[第一]教会の聖師父は至聖三者の各位が世界の創造に与りたるの状を示さんと欲して『父は子に由り聖神を以て世界を造れり』と云ひ、或は『万物は父よりの子に由り聖神を以て造られたり』と云へり。而して此の如き教は聖書に基づくものなり。即ち万物父よりし(コリンフ前8:6 同後5:18)子に由り(イオ一1:3 エウレイ1:2)聖神を以てす(エフェス2:18)と云ひ、又万物彼に本づき彼に由り彼に終る(ロマ11:36)と云ふ是なり。聖大ワシリイ明に此意を述べて曰く『彼等(神使を云)の創造に於て創造の首初の因たる父と造成の因たる子と成全の因たる聖神あるを思ふべし。即ち服事するの神(しん 神使の云)は父の旨に因て其存在を受け子の作用を以て存在に導かれ、聖神の臨在を以て存在に全備せられたり』
[第二](甲)至聖三者の三位共に創造に与かりたりと為すの教は三者一体たるの教と三者皆其本性と神たるの性質に由て全く相同じと為すの教よりして自然に出るものなり而して
    (乙)三者の各位が創造に与かりたるの順序と其多少は全く三者個位の順序と相互の関係に相当するなり。

三十四、神が世界を創造したるの状
神の言を按ずるに神は世界を創造するに
一、智識及び睿智を以てせりと為す。曰く『主は睿智を以て地を基づけ、智識を以て天を建てたり』と(箴言3:19又聖詠13:55参看)即ち永遠よりの悉くの其の将に造らんとする所の物を洞見せし至極睿智なるの思想に適応して造れり。蓋神は永世より其の凡そ行ふ所を知る。(行伝15:18)
二、意旨を以てせりと為す。即ち全く其欲する所に循て創造し決して已むを得ざるの事情に由て造りたるに非ざるなり。曰く『我等の神は天に地に凡そ其欲する所を行ふ』(聖詠113:11)『主は凡そ欲する所を天に地に海に諸淵に行ふ』(同134:6)
三、言を以てせりと為す。『神曰く光あるべしと、即ち光あり......神曰く水中宜く蒼穹あるべしと、是に於て此の如きあり......神曰く天下の水宜く一所に匯り乾土現はすべしと、是に於て此の如きあり』云々(創世記1:3,6,9及其以下)『彼言ふて即ち成り、命じて造られたり』(聖詠148:5)然れども教会の聖師父は茲に神の言と云ふを持て吾人の詞に等しき音声言語を指すと為さず、只彼の無よりして宇宙万物を造りたる神の全能力の指図、若しくは表顕に過ぎずと為す。
四、吾人の智識を以て全く暁り得べからざることなりとす。曰く『我等信に由て世は神の言を以て造られ、見ゆる者は見えざる者よりして造られたるを知る』(エウレイ11:13)

三十五、神が受造物の重なる種類を創造したるの順序
正教の教に由るに神は最初に神霊界を造り、而て後六日の間に物質世界を造り、終に第六日目に人を造れりと為す。(正教訓蒙第一條の解)
第一、神は最初に神霊界を創造せり。此教の由て基づく所は
 一、聖創世記記者の言なり。曰く『元始に神天地を創造す』と。(創世記1:1)今吾人が目に見ゆる所の天は其蒼穹及び星宿と共に後に至って造られ(同上1:6,8,及14-17)たるが故に、茲に「天」と云ふを以て蒼穹若くは凡そ世人の呼んで天と為す所の者を指すと為すべからず。乃ち聖書に於て常に天に住すと為す(コロサイ1:16)の諸霊を指すと為すを以て当れりとす。何となればモイセイは地即ち太初の物質にありたる如き混沌たる状を以て此の天にありと為さざればなり。若し果して然らんには神使は神より外未だ一物も有らざる時に造られて、神の受造物の首と為りたるなり。
 二、神自らイヲフに語るの言なり。曰く『我星宿を造りしとき我が使悉く大声我を頌讃せり』と(イオフ38:7)茲に神使が第四日に星宿を造られたる時神を讃揚せりと為すを以て見れば即ち之に先て造られたること明なり。
 三、教会の聖師父は神使が物質世界に先つて造られたりと為すを以て確然疑ふべからざることと為せり。例へば
   聖大ワシリイ曰く『世の未だ有らざる先に世界外の諸能力(即ち神使)に適当し、時に越え永遠にして恒に保続するの情状ありたり。万物の創造者及び造成者は此れに主を愛する者の幸福に適当する無形の光と智ありて、見えざる者及び吾人の得て了解すべからざる無形の造物の修飾を造れり。吾人は此造物に付すべき名称をも発明すること能はず。彼等は乃ち見えざる世界を充たすなり』
   神学者聖グリゴリイ曰く『神は最初に神使いと天軍とを意ひ、而して其意は乃ち事実と為りて、言は之を成し、聖神は之を全ふせり......初造の者は彼れの悦ぶ所と為りたるに由り、他の見ゆるの物質世界を意ひたり。此れ即ち天地及び其間に在る所の整然たるものなり』
   金口イヲアン曰く『(神は)神使、神使長及び其他の無形体の者を創造せり。而して之を創造するや他の故に非ず、即ち唯其仁慈を以てせり......已彼等を造るに及び前と同じき理由を以て人とこの(見ゆるの)世界を造れり』
第二、神は六日の間に物質世界を造り遂に第六日目に人を造れり。即ち創世期の開巻に記するが如し。吾人はこのモイセイの言ふ所を認めて歴史と為さざるべからず。何となれば
 一、モイセイ自ら之を認めて歴史と為したるに因る。抑々モイセイは此記を以てイズライリ人に世界及び人間の創造者たる神のことの確実正当なるの理解を伝へんと欲して書したる己の史書の開巻に載せたり。故に若しモイセイは茲に何人も解すべからざるの奥妙の意を含ませたらんには、是れ其素志に背きたりと為さざるを得ざるべし。加之モイセイは後イズライリ人に与へられたる安息日の律法を此説に基づくと為し、此法を述ぶる時に当りて益々明に此の六日創造の説を述べたり。彼曰く『爾宜く安息日を記憶して之を聖と為すべし。六日の間は宜く其労して爾の諸工を作すべし。第七日は乃ち爾の主神の安息なり。是日は諸工を作す毋れ......蓋六日の間に主は天地海と其中の万物とを創造し七日に至て安息せり。故に安息日を祝して之を聖と為せり』(出エギ20:8-11)又曰く『イズライリの嗣宜く安息日を守り其歴代に迨るまで之を祝すべし......蓋六日の間に主は天地を創造し第七日に至り安息休憩せり』(同上31:16,17)
 二、他の聖書の記者等はモイセイの言ふ所を認めて歴史と為したるに因る、例へばモイセイは己の書に神は言を以て世界を造り、而して神の神(しん)は其初造の混沌たる物質の上に覆育せり(創世1:2)と記するに、聖詠者は呼んで曰く『天は主の言にて造られ、天の衆軍は其口の気(神)にて造られたり』と(聖詠32:6)聖詠者又曰く『彼言へば則ち成り、命ずれば則ち顕れたり』と(同上9)又モイセイは元始に暗は創造せられたる所の万物を蔽ひ、而して神は光るあるべしと曰へば即ち光あり(創世1:3)と記するに、聖使徒パワェルは其書に謂て曰く『光に命じて暗より照さしむるの神は我等の心を照し、神の栄耶蘇基督の面に顕はるるを知らしむるを致す』云々(コリ後4:6)又モイセイは神が蒼穹以下の水と蒼穹以上の水とを分てり(創世1:7)と記するに、聖詠者は神の諸々の造物を呼んで造物主を頌讃するに当り、諸天の天と天より上なる水や彼(主)を讃め揚げよ(聖詠148:4)と云て此蒼穹の上に在る水のことを記す。又モイセイは神が日月星辰の如き天の列光を造りたるは、一は以て時の号と為さんが為なり(創世1:15)と記するに、聖詠者亦呼んで曰く『主は月を造りて時を定む』と。(聖詠103:19)
 三、教会の聖師父らがモイセイの言ふ所を認めて歴史と為したるに因る、即ちアンティヲヒヤのフェオフィル、イッポリト、大ワシリイ、金口イヲアン、大アファナシイ、アムブロシイ、プロシイ、ニッサのグリゴリイ、エピファニイ、フェオドリト等なり。

 モイセイの言ふ所の六日創造の説に関して注意すべき者左の如し
 一、モイセイは創造を二大種類に区別して順次に行はれたる者と為す。「其一」は即ち真に創造と言ふべきにして造物主が無より万物を造りたる太初の創造なり。即ち元始に神が天地を創造して(創世1:1)世界の有らゆる万物の根原若くは萌芽を含有する所の物質を造りたる者是なり。シラフの明哲なる子も此意を以て世々に生活する者は万物を造れり(シラフ18:1)と云へり。又「其二」は即ち既に備はりたる初造の混沌たる物質より造り出せしことにして六日の間に行はれたる所の創造是なり。ソロモンが神の全能の手は世界を混沌たる物質より創造せり(智慧書11:18)と記するはこの創造を指して言へしこと固より疑なし。
 二、モイセイは全物質世界の起源(即ち世界開闢説(コスモゴニヤ))を述ぶる者にして、一地球の起源(即ち地源之理(ゲヲゴニヤ))を説くに非ず。何となれば、モイセイは始に「天地」即ち全世界を創造せりと云ひ、而して後「光」の創造・「天の蒼穹」の創造幷に「列光」即ち日月星の創造のことを記すればなり。然れども亦一方より之を見ればモイセイは此地と此地上に棲息する者の起源を記するを以て主眼と為し、之を述ふること殊に詳密にして天と天上の諸物に関しては唯此地に関係することのみを述べ、傍ら之を云ふが如きの意を以て記すること固より明かなり。故に例へば天上の列光の創造を記するに当りては唯彼等が此地に関して有する所の関係のみを述べ、之に名を与へ性質を付するにも皆唯この地よりして与へ、且付するを得可き者を以てせり。
 三、モイセイは世界と地球の起源を記する者にして、其改新を云ふに非ず。何となれば元始に神天地を創造せりとお記す。是れ即ち未だ一物も有らざる時に創造せしことを云ふなり。後又神曰く、宜く光有るべしと......天の蒼穹に宜く列光あるべしと云ふ如きも皆是れれ明に曾て一物も有らざりしことを証するの言なり。遂にモイセイは夫れ是の如く天地及び其衆軍皆時始めて備はり、初めて終はれる者にして前にには一物も有らざりしこと明かなり。
 四、モイセイは神が最初の創造に無より万物を生ぜし時のみならず、六日の間彼の已に完備したるの物質よりして世界の諸種の物体を造りし時にも自ら己の直接の能力を以て働きしことを証す。神曰く、宜く光あるべしと。即ち光あり。神曰く、水中宜しく蒼穹あるべしと。是に於て此の如きあり。神曰く、地は宜しく各其類に従いて有生の諸動物を生ずべしと。是に於て此の如きあり云々。是に由て之を観じば世界と地球は万有の勢力と法則に従て成立せりと為すべからざるや誠に明なり。此勢力と法則の世界に其作用を顕したるは既に此世界が其完全の存在を受けたる後にあるものにして、即ち神が此世界に与へたる所の者なり。然れども神が天地を造り己の全能力を以て諸種の物体を造りしときは固より自ら万有の法則と勢力に從へたるに非ず。例へば神が初人を創造するや直に之を成年の者に造れり(地上の諸動物も亦皆然り)。然るに今万有の勢力と法則に循ふときは初人が成年に達するまでは必ず数多の年月を要すべし。
 五、モイセイが所謂創造の六日は尋常の日を謂ふなり。何となればモイセイは各日を分つに昼夜を以てして夕あり朝あり是れ即ち第一日......夕あり朝あり是れ乃ち第二日云々と云へばなり。加之我輩が前に述べたる如く、モイセイは神が六日の間に悉く万物を創造し之を終るに及び、安息して第七日を聖と為せしことに準じてイズライリ人に誡むるに、一週の間六日は操作し第七日の安息日を以て己の主神に献ずべきを以てせり(出エギ20:8-11及31:16)
 六、モイセイが世界の六日創造のことを記するや、其目的普く衆人に了解し易からしめんと欲するに在るを以て、格物学士の如くにして之を述べず。賢明にして神の黙示を蒙れる宗教の師の如くにして之を記す。故にモイセイが万事に関して伝ふる所の理解は皆固より真実なれども、人間一般の思想に適応して之を述ぶ。例へば造物主の高尚なる作用を云ふに当たりて可能丈け其高尚の点に応じて之を述ぶると雖も、有形物に相当する形容を以て之を述べ、物体世界の諸物を記するにも学士の看るが如くに記せずして平人の目に見るるが如くに記す。

三十六、神の世界を創造せし所以、及び其目的
正教会は吾人に此事を教ふること左の如し。曰く『宣く信ずべし。神は仁且至善にして自ら極全極美なれども、亦他の諸物をして己を讃揚し、己の恵に浴はしめんとして無より世界を造れり』(正教宗門上篇第八問の答)是即ち教会は純ら造物主の無限無量の仁慈を以て世界創造の因と為し又世界創造の目的となすなり。
一、至上者が此宇宙を造りたる所以の意若しくは原因は彼れの無限の仁慈なり。聖書に
(甲)此意を含む所は神を至極完全のものと為し(マトフェイ5:48)至極光栄の者となし(同23:10)至極幸福の者と為し(ティモフェイ前1:11)何人にも何物にも需し所あらざる者と為し(行伝17:25,26)永遠より世界の有らざるとき独り存在せり(聖詠89:3 エフェス1:3,4)と為すの所なり。是に由て観れば神若し他の諸物を生ずるを欲せずんば意の願はず永遠に至るまでも亦自ら存在するを得ざりしならん。
(乙)又明かに右の意を顕はす所は、吾人の目を神の造物に向けて主は悉くの者に仁慈なり。其宏慈は作為(しわざ)にありと云ひ(聖詠114:9)或は『吾人をして創造に於て顕れたる神の憐(矜恤)は世々にあればなり......睿智を以て天を造りし者(を讃栄せよ)其憐は世々にあればなり。地を水の上に定めし者(を讃栄せよ)其憐は世々にあればなり』(同上135:1-9)と云ふの言なり。
二、世界創造の目的は先づ神の栄を顕はすことなり。聖書に
(甲)概して此意を顕はすは、主が己の為にして万物を造れりと云ひ(箴言16:4)並に万物彼に本づく(エウレイ2:10)と云ふの言にして

三十七、神の造物の善美なること

 第二 神が世界の照管者たる事
三十八、神の照管の解、其作用及種類

三十九、神の照管の実在

四十、神の照管の各作用幷其二大種類の実在

四十一、至聖三者の諸位照管に与かること

大弐章 神が造物主及照管者として神霊界に対する関係の事
四十二、神霊界の善霊及悪霊に区別せらるること幷神が造物主及照管者として彼らに対するの関係

 第一 善霊即神使に対するの関係
四十三、神使の解、其存在の確実なること及彼等の神に造られたること

四十四、神使の性質

四十五、神使の数及其階級即ち天の神品職

四十六、神は善神使を幇助す

四十七、神は善神使を治理す(甲)

四十八、(乙)神使の人々に対する務、守護神使のこと

 第二 悪霊に対するの関係
四十九、悪霊の種々の名称及其存在の確実なること

五十、悪霊は初め善霊に造られたれども自ら悪霊となれり

五十二、神は只悪霊の動作を放任するのみ

五十三、神は悪霊の動作を制限し之をして善良の結果に向はしめんとす

第三章 神が造物主及び照管者として人間に対する関係の事
 第一 造物主及人間に対する関係
五十四、此定理に関する教会の教及び此教の区分

五十五、初人アダム、エワが神に造られたりと為すモイセイの説の本義及其趣意

五十六、アダム及エワより全人類の出たること

五十七、人間の組織

五十八、人の霊魂の性質、人に在る神の像及肖

五十九、人間の目的

六十、初造の人の完全なること、若しくは人が己の義務を行ふの力を賦せられたること

 第二 神照管者の人間に対するの関係
六十一、此定理に関する教会の教及此教の区分

六十二、初造の人に対する神の照管及之に予へられたるの誡

六十三、人自ら縦まにして罪に陥りたること、其の罪に陥るの状及其原因

六十四、元祖の犯罪の結果

六十五、元祖の罪の全人類に伝はること、原罪及其結果の解

六十六、原罪の実在及普及の理幷に之が遺伝の方法

六十七、原罪が吾人に生ずるの結果

六十八、神は人の罪に陥りたる後も息まずして之を照管す
 (甲)神は国家及人民を照管す

六十九、
 (乙)神は個々の人々を照管し、就中義人を照管す

七十、人に対するの神の照管の方法及次編に移るの意

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